錦鯉とは
nishikigoi
錦鯉の魅力
人々に安らぎと癒しを届ける
平和の象徴
錦鯉に対して恐れを抱いたり、嫌悪の感情を覚える人はいないように思います。
愛好家の方々に限らず、公園やホテルの中庭など、錦鯉が泳いでいる池を見つけると、
好奇心と驚きの眼差しで池を覗き込む姿を見かけます。
それは錦鯉が醸し出す親近感によるものだと考えています。
同じ魚類の中には縄張りやパートナーを巡って
争いを起こす種もいるなかで、錦鯉は同じ種の中で争いを起こすことはありません。
むしろ、その鮮やかな模様と優雅に泳ぐ姿は、人々の緊張や疲労を解きほぐし、
安らぎと癒しのひとときを創り出します。
錦鯉の歴史

始まり
世界でも有数の豪雪地帯、新潟県の二十村郷。ここが錦鯉の発祥の地です。江戸時代中期、村人たちは家の軒下に小さな生簀を掘り、食用の真鯉を飼っていました。その中の鯉が自然産卵し、生まれた稚魚は棚田に放されました。そんな環境の中、突然変異という自然界の偶然がきっかけで、時折、赤い斑模様を持つ鯉が生まれました。これが錦鯉の始まりです。

進化、そして芸術的領域へ
村人たちの、より珍しい鯉、より美しい鯉を創出しようとする探究心。それこそが錦鯉を進化させ、芸術的領域にまで押し上げる原動力となったのです。幾代にもわたり交配と淘汰を繰り返し、ついに現在の「紅白」の原点と見なせる白地に赤の模様を持つ鯉を作り上げました。さらに時を重ねて、村人たちは次々と新たな品種を確立させていきました。まだ、”錦鯉”という呼び名すらなかった時代の話です。

泳ぐ宝石「錦鯉」
時を同じくして東京で博覧会が行われることになりました。当時の村長を筆頭に組合が立ち上げられ、”越後の代わり鯉”として博覧会に展示したところ大きな人だかりができ、ここに出品された変わり鯉は銀牌の褒章の栄をいただきました。これが「錦鯉」として、新潟県外の人々にも存在が伝わり流通・売買が行われる第一歩となりました。

錦鯉新時代の到来
戦後を迎え、日本経済は安定して高度成長時代に突入しました。日本経済の成長に呼応するかのように錦鯉も、新品種が次から次へと生み出される時代を迎えました。人々はこぞって庭に池を造り、鯉を泳がせるようになりました。
錦鯉生産者は生産技術の向上に努め、鯉を大きく健康的に育てる技術を確立させました。その結果、自宅の池で鯉を大きく、かつ綺麗に仕上げるノウハウが広まり、多くの愛好家たちが誕生しました。

日本が生んだ世界に誇る芸術品
景気の拡大とともに、各地で行われる品評会はますます盛大になり、出品される鯉も一昔前とは比べ物にならないほど美しく、大きなものとなっていきました。そして、じわじわと海外の人の目にも止まるようになり、今では、日本の国魚として世界各地へと輸出され、優雅な姿で人々を魅了し、老若男女を問わず人気を不動のものにしつつあります。
錦鯉の品種
御三家と呼ばれる紅白、大正三色、昭和三色を筆頭に、鮮やかな色を持った品種が数々います。
その数は100種類以上とも言われており、今でもなお新しい品種が増え続けています。
中でもメジャーな20種類をご紹介します。

紅白

大正三色

昭和三色

白写り

浅黄

孔雀

ぶどう衣

秋翠

銀鱗昭和

輝黒龍

彩若葉

緋写り

丹頂紅白

丹頂昭和

五色

山吹黄金

紅鯉

プラチナ

金松葉

カラス